吉住工務店のあゆみ
刻んだ歴史
創業から変わらぬ「真実一路」の思い
吉住工務店会長の吉住俊一です。
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生かされた喜びを胸に、
叩き上げの左官業から元請へ
吉住工務店の起源は、1942年(昭和17年)、現在の丹波市にあたる氷上郡春日町(現在の丹波市)で先代の父・吉住茂が左官店を創業したところに遡ります。当初は、台所のかまどづくりなどの仕事を大工から下請けしていたそうです。 先の戦争で父は海軍に従軍し、空母での任務に就きました。そして多くの戦友の死を目の当たりにした末、戦地から生還したのです。父は、亡くなった戦友の分も一生懸命に生きなければと思ったのでしょう。「生かされた喜びを仕事でお返しする」。そんな気持ちを常に抱いていました。自分に厳しい人でした。 下請けの左官として出発しましたが、必死に勉強して、やがて元請けの仕事を担うようになりました。独学で一級建築士も取得。人がいやがるような仕事も率先して引き受け、遮二無二働きました。左官から建設業に踏み出した背景には、1960年(昭和35年)ごろのブロック建築の流行があります。補強ブロック造はブロックの間にモルタルを詰めるため、左官が取り組みやすい分野だったのでしょう。 |
出兵時、自宅にて 初代・吉住 茂 |
失敗も糧に技術を磨き
「RC造・公共工事の吉住工務店」へ
1963年(昭和38年)、父は株式会社吉住工務店を立ち上げます。5人の従業員を擁しての出発でした。当初は元請けとして補強ブロック造の建物を手がける体制を整えると共に、各種専門職との連携を深め、受注施工能力の向上に努めました。やがて補強ブロック造の請負を足がかりに、鉄筋コンクリート(RC)造、そして公共事業の仕事も受注していくようになりました。
創設5年の1968年(昭和43年)に竣工したRC造の「春日町福祉センター」が、当社にとって初めての公共建築でした。今のような生コン車などはない時代です。手練りのミキサーを現場に据えて、砂利とセメント、水を練り上げて打設しました。当時の技術では精一杯の仕事でした。ところがいざ型枠を開けてみると一部にジャンカを発見し、完璧主義者の先代は大変ショックを受けました。「頭を丸めたい」と消沈していたのを覚えています。
そんな失敗も糧にしながら、先代は会社の技術力を磨きました。やがて吉住工務店はRC造の建築で評価をいただくようになります。公共投資の伸びとともに、公共事業の受注も増加。私が入社した1970年代半ばには、拠点にする丹波周辺で「公共工事の吉住工務店」というイメージが出来上がっていました。
昭和43年 春日町福祉センター施工(平成元年 撮影)
公共
氷上管理詰所新築工事 |
柏原町役場庁舎改修工事 |
丹波の森公苑管理棟・研修棟建築工事 |
篠山市立大芋小学校改築工事 |
市島中学校大規模改造耐震補強工事 |
雇用促進住宅市島宿舎建築工事 |
民間
岡林写真館新築工事 |
認定こども園よしみ新築工事 |
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